本研究は、従来はエピソード的に扱われてきたロシア演劇を近代的演劇の土台として明確に位置付け、近・現代演劇の現在までの展開を再考することを目的としている。演出手法および演技法の伝播の媒介者としてのロシア亡命者に注目し、また、モダニズム以来の芸術ジャンルの混交が演劇的表現にどのような影響を与えたのかも考察している。 本年度は「20世紀初頭のロシア演劇において、演出、演技法がどのようにシステム化されたか」という問題については201廷紀初頭に芸術ジャンルの混交を特徴とするロシア・モダニズム期に、アヴァンギャルド的演劇の手法を発想するきっかけとなったイギリスの演出家ゴードン・クレーグおよびドイツの演出家ラインハルトの研究を概観し、それらがメイエルホリドの演出手法の根本に強い影響を与えていたことを改めて検証した。また、亡命者の問題として、比較的切り離して考えられがちなのがユダヤ系の芸術家たちの活動である。ショレム・アレイヘム原作の『牛乳屋テヴィエ』は革命期のユダヤ入劇場における民族的表現の発露となったとともに、後にはヨーロッパからアメリカへと流れ込んでいった亡命者たちによってブロードウェイでミュージカル化され、さらにはハリウッドで映画化された。このような作品で使われたユダヤの民間音楽であるクレズマーのメロディーはハリウッド映画のベースとして世界的に受容されていった。このようなロシア・ソ連からアメリカ・ハリウッドへの伝播は俳優術のユニヴァーサル化とも連動し、ミハイル・チェーホフらによって国外へと伝承されたスタニスラフスキー・システムが、現在の演技術の規範となっている。
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