20世紀はロシアにおいてふたつの革命と戦争、そして体制の崩壊を経験した激動の時代であった。また、18世紀から2世紀にもわたって西欧の知を貪欲に摂取し、真摯にその核心に迫ろうとした経験が熟し、独自の思想を展開していった時代である。なかでも演劇はその過程がいわば圧縮されて、ほぼ同時並行して起きていた。ラインハルトに触発されたスタニスラフスキー、クレイグらに触発されたメイエルホリドは、影響下にとどまることなく新たな演劇の世界を開いていった。この両名が演技面、演出面と両輪となって相互にどこか触発しあい、響きあいながら今度は欧米から世界の20世紀演劇の基盤を形作っている。とくにフランスに活動基盤を求めたジョルジュピトエフ、イギリスで独自の俳優メソッドの基礎を固めたミハイル・チェーホフ、チェーホフやシェイクスピアの斬新な演出を展開したフョードル・コミッサルジェフスキーらの活動は重要である。ミハイル・チェーホフについては、神経過敏な伝記的エピソードや神秘的といわれるハムレットの演技の伝説、シュタイナーの人智学に心酔したというエピソードから、とかく神秘化され、シュタイナーの理念に基づいて解釈されることが多かった。しかし、チェーホフとスタニスラフスキーとの演技間の齟齬は、個人的な感情体験が誰しも二共通なのかどうかと言う、ごく、個人的な実感から発しているように思われる。彼自身の病気の遠因とも推測しうるほど、他者との違い(非共通性)に苦しんでいた。また、役柄に体験的な感情を当てはめていくことが、人格の破壊につながることをチェーホフは危惧しており、役柄が役者本人の人格とは別個にある種共通化されタイプ化された感情を組み合わせた構造体として役柄を想定することを志向したように思われる。つまり、身体の動きを観客へ様式を解してコード化された記号として提示しようとしたメイエルホリドと感情を人間表現の中核にすえたスタニスラフスキーの(折衷ではなく)中間に位置するような人物像の形成を試みていたのではないか。
|