本年度はモンゴルロ頭伝承における易学の概念「七冲」の有無を、モンゴルの射日神話『エルヒー・メルゲン』、『ジャンガル』、その他の英雄叙事詩において確認するとともに、本研究課題である『元朝秘史』においても検討した。興味深いことに、モンゴルの碩学ガーダンバ氏によって『エルヒー・メルゲン』と密接な関連が指摘されていた『元朝秘史』の§284は考察の結果、『元朝秘史』には七冲が認められるものの、『エルヒー・メルゲン』の七冲とは直接関連するわけではないことが判明した。それゆえ『エルヒー・メルゲン』と『元朝秘史』の直接的関連が否定された。この成果の一部は、島根県立大学総合政策学部の井上治氏を代表者とする平成16年度基盤研究B(一般)「北・中央ユーラシアにおける異文化の波及と相互接触による文化変容の歴史的研究」の成果報告書に寄稿した論文「英雄叙事詩『ジャンガル』における七冲の痕跡-ジャンガルが7歳のときに権力を掌握するモチーフについて」で展開した。『エルヒー・メルゲン』と『元朝秘史』の関わりが否定されるという考察は、『元朝秘史』研究においてのみならず、モンゴルの神話研究において大きな意義をもつ。両者においては共通する子-午の七冲が存在するが、『エルヒー・メルゲン』において見られるもう一組の七沖である卯-酉は、『元朝秘史』の子-午の七冲とは直接関係がないものの、秘史時代にすでにあった子-午の七冲に追加されて形成されたものである可能性が高いことが推測されるためである。すなわち、神話『エルヒー・メルゲン』は従来の研究において起源的に『元朝秘史』の§284よりも古いものと推測されていたが、実際には『元朝秘史』よりも新しいものであることが示唆されたのである。
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