本研究はモンゴル民族の文化的支柱のひとつ『元朝秘史』(以下、秘史)を文学的に研究する土台を構築することを目的としている。本研究代表者は歴史と言語を統合する文学の視座において「言語芸術」として秘史を再定位し、敗者を含む非権力者の歴史意識が反映される、これまで取り組んできた英雄叙事詩に対するような研究の取り組みが秘史研究にも必要であると考える。それゆえ本研究は秘史を「実証的歴史」ではなく「歴史意識の言語芸術」として解明することを目指す。 今年度の成果は、昨年の成果論文である「チンギス・カンをめぐる伝説の諸相-『チンギス・カンの伝説と歴史の地』という小冊子をもとに-」で提起したチンギスの弟ベルグテイの母の出自をタタルとする仮説を敷術して、二つの論文を執筆したことである(現在投稿中)。そのひとつは、2009年12月6日に行なわれた言語文化学会での発表をまとめた当該学会論集に投稿中の「『元朝秘史』第53節~第68節の有機的解釈の試み-"ベルグテイの母"の出自の仮説をもとに-」である。この論については中国でも講演会で発表し(2010年3月30日於内蒙古社会科学院)、多くの研究者からコメントも得ることができた。 もう一つは、愛知淑徳大学現代社会研究科の論集に投稿中の「『元朝秘史』第268節におけるイェスイ妃に関する叙述-グルベルジン・ゴア妃の伝説からみた解釈-」である。この2つの論はタタルというチンギス台頭以前に勢力のあった部族の存在を浮き上がらせる新解釈を提示するものとなった。両論文は秘史におけるアンチ・チンギス思想を指摘するものである点で重要なものである。今後もこの路線で秘史を考察することはじゅうぶん可能であると考えられる。実際にこの路線で現在、新論文を執筆中であり、去年の実績を踏まえた3つの論文がまとまりつつある。本年度の成果は以上であるが、現在、本研究課題を一冊の学術研究書として刊行する話を風響社出版と進めていることを付け加えておきたい。
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