研究概要 |
(1)ビルマ語散文文学最古とされるインワ期(15世紀)のPaaraayana Vatthu(彼岸への道物語)には、のちの文学作品と比べて、統語法の簡潔さや語形成法の特異さが特徴として認められる。文章全体が短い文の積み重ねからなっていることとsaa:min:ma(子+女)「女の子」などのように限定詞を後ろに置く語形成法をとることがあげられる。後者は魚や鳥や虫め名まえにこのタイプが多い(nga-,kngak-, pu-は類を示す接頭辞とみなしてもよい。モン語の影響か?一考を要する)。 (2)ニャウンヤン期(17-18世紀)の、本生話に依拠した、 MaNikuNDala(摩尼殊の耳環物語)は、Paaraayanaと違って、接続助詞-rwe., -hlyaN, -phraN., -so'を多用した重文・複文で綴られている。 (3)綴り字の標準化の過程を『緬王枢密院正書法典』(18-19世紀)等に記録されている綴り字法と12世紀の碑文(古ビルマ語)、16世紀以降の古典文学作品(聖書法典と同時期のものを含む)、ビルマ語委員会制定の現行の正書法とのあいだにズレのあるものについてみたところ、頭子音p-〜bh-、介子音-y-〜-r-、尾子音-t〜-pの異同は、頭子音の場合を除いて、もと音韻上の区別を表わしていたものが音変化により同音になったため書き間違ったにすぎないとみなしてよい事例しかみつからなかった。古ビルマ語ph-,中ビルマ語bh-,現代ビルマ語ph-(口語/ph-/)については、多くのビルマ古典文学作品においてbh-がみられる事実を、当時の文筆家がbh-を古い綴り字であると誤認したため生じたものと考えることができるであろう。 (4)パーリ語逐語訳調のビルマ語(nissaya Burmese)の措辞法は、ビルマ文のなかで、助詞aa:, kui, nhuik, phraN.,などの使用に一定の定着がみられることが分かった。 今年度、研究成果の発表なできなかった。
|