研究概要 |
2千年以上の歴史を持つサマルカンドは民族,宗教,言語その他の点で,2言語併用等の状況と併せて,さまざまな変遷を経てきた.2千年前の住民ソグド人は千年前のタジク人と入れ替わったと言うよりは,言語がソグド語からタジク語に入れ替わった可能性があるが,、そのタジク語もファールスィーとの関係が不分明である.サマルカンドの都市部には主にタジク人が住んだが,アラビア人,イラン人,ブハラ・ユダヤ人,ジプシー,テュルク人,ロシア人その他が移住して来,それぞれの言語のほかにタジク語が公用語として用いられ,それが現在のサマルカンドでの3言語併用(タジク語,ウズベク語,ロシア語)の基礎をなしたものと思われる.サマルカンドがブハラ・アミル国に属していた頃はサマルカンドの周囲の村落にはテュルク人(後のウズベク人)が住み,サマルカンドに進出したテュルク人がタジク語をも用いていたが(多分彼らはサルトと呼ばれ,現在のウズベク語に近い言語を使ったものと思われる),ロシア革命後当地がウズベク共和国に編入されてから,特に第2次世界大戦以後タジク人がウズベク語の使用を余儀なくされ,さらにはこれにロシア語が加わり,2言語乃至3言語併用が行われるようになった.現在概してウズベク人における2言語コード(ウズベク語-ロシア語),タジク人における3言語コード(タジク語-ウズベク語-ロシア語)が存在するが(彼らが日本語も英語も巧みなのは,彼らの所有する言語コードによる),ソ連崩壊後ロシア語がここから脱落しかかっている(ロシア語のコードからの脱落は彼らの英語学習能力の低下をもたらす).タジク語とウズベク語は系統的な差異にもかかわらず多々類似点があるものと思われる.当地のロシア語には彼らの言語からの干渉が大きく,ロシア語のピジン化を促していると思われる.本研究はこのような状況に焦点を当てたものである.
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