本年度は次の調査・分析を行った。 1昨年度に引き続き、高山寺聖教目録の形成に重要な役割を果たした義淵房霊典とその一統である覚薗院の代々について、寺内に現存する古文書、聖教、記録類などの原本調査を行った。その結果、現存資料については、覚薗院第二世以降の代々の記録は極めて少ないこと、また、聖教目録の作成についての明確な記録がないことが判明した。義淵房霊典は高山寺の経営に深く関わっており、とりわけ聖教目録の整備に多大な貢献をしたことが判明しているが、その系譜は比較的早く断絶してしまい、方便智院の代々により経蔵の整備・再編成が進められていったことが推定される。 2高山寺以外に所蔵されている資料・記録類について調査・検討を加えた。先行研究により、覚薗院の明悟上人は開祖明恵上人以来唱導されている「持戒清浄印信」についての伝授を他寺の学僧にも授けていることが判明している。中でも神奈川県立金沢文庫に多くの資料が残されており、それらの記録から網羅的に覚薗院の事績を洗い出した。その結果、霊典示寂後の高山寺において依然として覚薗院の一統が講義・伝授の活動を続けていることが実証できた。 これらの点から総合してみるに、明恵上人亡き後の高山寺には多くの僧坊が存在していたが、まもなく方便智院が大きな勢力を形成し、ほぼ真言密教の伝授を中心とした活動に限定されていたように考えられていたが、主要な流れではないものの、少なくとも室町時代応永年間までは覚薗院が存続し、講義・伝授(口伝も含む)などの活動を行っていたことが判明した。しかし聖教目録の作成については南北朝以後全くその記録は途絶えており、結局、室町時代頃には方便智院による寺院経営(特に聖教の管理)が行われていったことが判明した。
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