本研究では、戦前・戦時下(1930年代から1945年)の「旧満州」、中国占領地、「南方」占領地を対象地域とし、中国大陸から「南方」へかけて展開されていった教育実践の具体的取り組みや教育理念を手掛かりとして、教育の「多様化」に対応する形での人材養成のあるべき形態、求められる人材の素質・素養、教育方法について再検討した。さらに、今日の多文化化・多様化が進む日本語教育現場における日本語教師養成に関しても、何が課題となっているかを概観した。考察の結果、(1)「旧満州」の建国大学の事例においては、多民族の共生という教育理念の萌芽、日本人を優位とする教育構造の問題点が指摘できる。 (2)ただし、特筆されるのは、その中にも、共塾、語学学習、「満州事情」といった、異民族間で相互に文化理解をはかるための方法論のひとつとしてとらえられるものが存在した。 以上の点により、「旧満州」の人材養成においては、異文化に対峙するために必要な素養・能力として、語学力や異文化理解の知識が必要であり、さらに知識のみならず、多民族との共生をはかっていくことのできる能力、言い換えれば、異文化間行動能力を備えた人材を養成する必要性の認識があったことがうかがえる。さらに、今日の日本語教師養成の問題と関連させてみても、多文化化・多様化の進展する中で日本語教師に求められている「専門性」が柔軟化してきている点、また、異文化間の知識・行動能力を備えた人材が求められていることが示唆された。
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