平成20年度は、同年1月12日〜1月16日に行った龍門石窟、鞏県石窟寺調査のまとめと、同年12月13日〜12月20日に合肥・南京・馬鞍山・鎮江・丹陽の遺跡、および安徽省博物館、南京博物院、鎮江博物館、丹陽市博物館等において調査研究を試みた。その結果、龍門石窟では北魏時代の石窟と確認されている十七の石窟中、奏楽の浮彫りが窺えるのは六つの石窟と少なく、その奏楽状況もほとんどは仏の光背部分に描かれた伎楽天(飛天)によるものであったのに対し、鞏県石窟寺では奏楽場面は多く、規模は異なるが、雲岡石窟第2期後期石窟中で、もっとも多くの奏楽状況が彫られ、10人や14人の奏楽供養菩薩が並べられている第12石窟等につながる石窟であったことなどが確認された。楽器としては、笙・横笛・縦笛・琵琶・五絃・阮咸・箏・箜篌・鼓や太鼓、ほかに〓・磬・鉢などであり、縦笛には篳篥系のリード楽器と尺八系の楽器がみられた。 また、鞏県石窟寺と洛陽周辺北魏墓にみられる楽器との比較では、北魏墓の特徴のある楽器として、胴の部分が薄めの太鼓・長めの円筒型の鼓と〓があるが、他はみな鞏県石窟寺と共通していることが知られた。 本年度は最終年度でもあり、これまで3年間の成果を冊子報告書「古代宮廷社会における楽制・楽人等の比較社会文化史的基盤研究」としてまとめた。その結果、魏晋南北朝時代における蒐集された音楽文化の図版資料の整理が進み、またその考察検討を試みることによって実態の一端を明らかにし得たが、これらの音楽文化は隋・唐の音楽文化は勿論のこと、日本音楽文化の源流の一つとなっているものであり、このことからも重要な意義を見いだすことができる。 今後は、さらなる文献史料とのつきあわせと、地域や時代をさらにひろげて、調査研究を行っていきたいと考えている。
|