第一に、19世紀世界システムにおける東アジアの外交的位置に関しては、中国および日本の外交環境を比較検討することにより、その異質点だけでなく、共通点を解明することが求められている。この点に関して、上海と横浜を比較する必要があり、とくに上海租界を経営している工部局董事会の外交的活動を分析する必要がある。これについては、上海調査により、上海市档案館および上海市図書館の調査により、従来未公開であった史料の閲覧を含めて調査を実施し、資料の検討を行なうことができた。 第二に、幕末維新期の日本における不平等条約の実態については、列強側の外交姿勢の協調的側面について、日朝修好条規の締結における列強の態度を見据えた上での日本の外交姿勢について、今までの研究成果をふまえつつ本年度に仮説的な論考をまとめ、欧米列強の対アジア融和姿勢の実態をある程度解明することができた。 第三に、条約改正交渉を通じて、日本が列強の強調姿勢を利用しつつ、その間隙を縫って列強の協調を動揺させつつ交渉の成立に持ち込んだプロセスにおいて、全権公使の任命、在外公館の設置などの外務省の政策が重要な意味を有していることに着目し、日本側における外交環境の改変の事実を解明することの必要性を確認することが出来た。このことは、従来ほとんど言及されておらず、あらたな外交史研究のきっかけとなる可能性をはらんでいると考えている。
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