「赤蝦夷風説考」という名で広く知られた工藤平助の著作について、松平定信旧蔵の写本「加模西葛杜加国風説考」を素材として、内容・書誌の両面から再検討を行った。その結果、本来の書名が「加模西葛杜加国風説考」であったこと、また、本書が成立した当初には、世界図と蝦夷図の2枚の地図が挿入されていたことを解明した。あわせて、本書の成立した天明期という時期は、日本北方域にそれまで知られていない第3の勢力が進出しているが、いったいそれが何なのかという問題の解明が、日本の政治上・思想上の焦眉の課題であり、本書はその問に対する先駆的かつ実証的な回答であったことを論証した。以上の成果を前提に、新たに発見された2枚の地図の内容を、同時代およびそれ以前の地図と比較・検討した。この研究により、まず世界図について、ユーラシア大陸の北部にヨーロッパからアジアにまたがる広大な領域を持つ国家ロシアを日本で初めて描いたものであること、同時に、蝦夷地からカムチャッカ半島にいたるまでの地域の地理把握を試みたものであったこと、さらに、本書が幕府中枢に受け入れられるところとなり、幕府に世界認識の革新をもたらしたことを明らかにした。次に、巨大国家ロシアの出現という世界観の転換により、緊急に対策をとらねばならない境界領域として蝦夷地を急浮上させることになり、その具体策として蝦夷地開発を提案するための資料として描かれたのが蝦夷図であったことを論証し、かくてこの二つの地図が、19世紀以降の日本の北方に関する地政学的な認識を先取りするような射程をもっていたことを論じた。以上の研究に併行して、従来刊行されていた「赤蝦夷風説考」の底本が、地図を欠き、かつ良質でなかったことに鑑み、現在のこる写本のなかで最良の写本と考えられる松平定信旧蔵本を底本に、翻刻を行い、広く利用できるよう、学会雑誌に掲載した。
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