本研究で私は、鎌倉幕府が宗教政策を二度大きく転換したことを明らかにした。一度目は、1246年の将軍の失脚と北条氏の勝利である。これを契機に顕密仏教への依存が抑制され、それに代わって幕府は禅律僧を重用するようになった。第二は1274年・1281年のモンゴル襲来である。幕府は祈祷の力でモンゴルの侵攻を阻止しようとして、再び密教を重視する政策を採用した。それによって鎌倉の顕密仏教は爆発的な発展を遂げ、鎌倉の僧侶たちはさらに延暦寺・東寺・東大寺など京都周辺の有力寺院に大量進出していった。鎌倉幕府の権門寺院政策も、この政策転換から大きな影響を受けていた。
|