研究課題/領域番号 |
18520496
|
研究機関 | 和歌山大学 |
研究代表者 |
海津 一朗 和歌山大学, 教育学部, 教授 (20221864)
|
研究分担者 |
武内 雅人 和歌山大学, 教育学部, 客員教授 (20423254)
竹中 康彦 和歌山大学, 教育学部, 客員准教授 (50423257)
|
キーワード | 中世都市 / 寺院都市 / 根来寺 / 惣国 / 山東荘 / 覚鑁伝説 / 神仏習合 / 日本中世史 |
研究概要 |
根来寺の根本所領である山東は、弘田荘根来よりもむしろ覚鑁時代の大伝法院勢力の動向を詳細につたえることがわかった。 (1)山東大池・新池をはじめとする灌概設備を覚鑁が整備したという勧進聖の土木工事事業、および開発を妨害する地元の神々(魔物や動物に化身)を覚鑁らが霊力によって鎮めて病を治し、雷や風雨などの自然さえも加持祈祷により統御したという諸遺跡(伝法院琵琶石・とさか山)が現存する。 (2)大池下水利組合(永山川)は現在も覚鑁祭りを報賽しているが、その水利概況調査によって山東荘の荘域内のみが灌概範囲となり、その下流域の日前宮領は永山川流が使えずに宮井を回していること。両境界部にある吉礼荘は、その恩恵に浴せず、奥地の他領に池をつくることで灌概していること。覚鑁伝承による水利慣行が、荘園領域の規定性として現在にまで生きていることが明らかになる。 (3)伊太祁曽神社をはじめとする在地の有力神祇が、祭祀や行事において根来寺勢力との密接な関係を築いて、地域支配を拡大していることが明らかになった(伊太祁曽神社文書の解読)。また、その「伝統」関係は、伊太祁曽神社秋大祭において今も矢田地域(伝法院境内)に徒御神事が続く。総じて、交通の要衝地であった山東荘矢田伝法院の一帯は、高野山大伝法院(覚鑁の高野山時代)における勢力の中心拠点都市であったことが明らかになる。したがって、鎌倉時代においては現根来寺(弘田荘)は有力では有るが大伝法院勢力のオルターナティブのひとつにすぎず、山東荘矢田伝法院のなかに中世首都根来の源流・原境を見出すという方法的な模索が可能になるだろう。初期の覚鑁教団が地域開発と密接にかかわり、それが聖域設定や病者救済活動とも一体化した空間を構成しているという中世独自の支配拠点のあり方が浮き彫りになったのである。
|