戦国時代に大名大内氏は山口を本拠に"大内文化"と称される特色ある文化的環境を形成した。その基盤は、九州北部に及ぶ領国内はもちろんのこと、京都、そして朝鮮・中国・琉球・ヨーロッパ等国際社会との交流の広がりと、それによる経済力にあった。 本研究では、大内氏が京都政権から相対的に自立して形成した地域国家の制度、その国家観等について、それを支えた文化性に視座をすえて総合的に明らかにすることを目的とする。 具体的には、これまで毛利家秘蔵の伝来文献であるいわゆる教養物(大内氏時代の武家故実書)と通称される巻子史料(防府毛利報公会毛利博物館所蔵)を調査・研究し、それらの翻刻、解題、解説作業を進め、当時におけるその活用のあり方について研究を行う。 弘治3年(1557)の大内氏から毛利氏への政治権力の交代のなかで、継承されたものもあれば断絶したものもあるが、大名や家臣、国人たちのこうした故実書の読書やそれを活用した日常的な交流を通してその文化性は継承された。これらの貴重な史料は、大内氏の宝蔵に保管され、滅亡後に毛利氏に伝えられたと思われるものもあるが、それらの解析によって、毛利氏時代になって付け加えられた部分をひきはがし、大内氏時代の武家固有の生活文化の様相を復原的に構成して論じたい。 本年度は最終年度にあたり、18年度・19年度に毛利博物館において調査・撮影を行った故実書の内、学術的にみてとりわけ貴重なものについて、発表にそなえてその翻刻文の原本校合を進めた。特に天文24年(1555)8月に毛利元就が書写した「均馬仙翁千午将軍張良師伝一巻書」については、毛利氏関係文書と関係づけながら、それが戦国大名毛利氏の領国支配上どのように活用されたかを解析し、「毛利元就と「張良か一巻之書」」と題する研究成果を『龍谷大学論集370周年記念号』に寄稿した(龍谷学会2009年1月27日受理)。 武家故実書の翻刻、原本校合、解析に大きな成果をあげた一年であった。
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