愛媛県歴史文化博物館から入手した高野山上蔵院文書の写真版、および伊予史談会文庫に残されている上蔵院文書写を解読して分析を加えた。夏には高野山金剛三昧院を訪問し、次年度に予定している本調査の準備として、事前の予備調査を行なった。その結果、中世伊予の守護河野氏が宿坊に指定した上蔵院に関する史料の現況、それが金剛三昧院に移された事情などに関する貴重な情報を得ることができた。次年度の本調査に向けて、研究分担者・研究協力者とともに打ち合わせを進めている。 一方、伊予から高野山に参詣した河野氏の権力構造や国内領主の動静を探るために、岩国徴古館に所蔵されている吉川家中并寺社文書の中にある伊予関係文書について、紹介と分析を行なった。検討の結果、二通の小早川隆景書状写がともに信憑性の高いものであり、戦国期の河野氏権力のあり方を考える上で重要な手がかりを提供していることが明らかになり、「永禄期の河野氏権力と芸州」(『地域創成研究年報』2号)にその成果をまとめた。 あわせて、伊予の遺跡と中世史研究会のシンポジウムにおいて、川岡勉「河野氏権力の変遷と戦国領主層1」、西尾和美「河野氏権力の変遷と戦国領主層2」の報告を行ない、研究成果を発表した。 中世伊予における弘法大師信仰のあり方に関しては、四国遍路の起源であるとされる衛門三郎伝説で知られる51番札所石手寺の史料を分析し、石手寺における信仰の変遷と、衛門三郎伝説の成立時期やその意味するものについて検討を加えた。考察の結果、衛門三郎伝説が熊野信仰と深い関わりがあることが明らかになり、「中世の石手寺と四国遍路」(『四国遍路と世界の巡礼』に収録)に成果をまとめた。
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