研究計画に沿って、茨城県龍ヶ崎市の肥料商筆屋・小野瀬家文書の帳簿をデータベース化した。その後、兵庫県尼崎市に肥料商梶家文書が購入された情報が得られた。尼崎は畿内でもっとも早く、干鰯市場が開設された場所であり、梶家はその有力商人であった。また尼崎周辺は、畿内綿作地域として、日本のブルジョア的農業の展開を代表する最先進地域であった。従来、商品的農業の発展と肥料の問題は、その重要さを指摘されながら、肥料商の史料がなかったため、実態研究が全く欠落していた。同家史料は、幕末期の帳簿類しか残っていなかったが、それでもこの研究史的空白を埋める第一級の史料であることは疑問の余地がない。そこで、研究計画を大幅に変更して、同史料の撮影、分析を最優先することにした。また同史料を生かすため、尼崎市立地域史料館で販売対象地の村々の調査を行っている。一方、栃木県文書館で予定していた都賀郡西水代村田村家文書を撮影した。同家文書は化政期と幕末期に帳簿類がある他、仕切状や肥料の輸送・販売の小手形類、関宿干鰯問屋の書状など豊富に関連文書があり、商売の実態がわかるところに特徴がある。後進地域の肥料商人のあり方の代表として分析する準備をしている。さらに従来から調査していた茨城県土浦市の尾形家文書を分析して論文を発表した。同家は土浦で干鰯仲買商売を行っており、その経営は化政期を頂点に、幕末に至ると衰退したが、その原因は小売り商人の産地河岸などとの直売買により有利性が失われたことによっていると考えられる。
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