近世の肥料商人の研究のなかで、直接生産者に肥料販売にあたった小売り商人の研究はほとんどないといってよく、立遅れている分野である。畿内先進地域では、近世後期に多額の肥料を投入して米・木綿・菜種など商品作物を生産したブルジョワ的富農経営が展開し、これが天保期前後から肥料価格・労賃の高騰、農産物価格の低迷で行き詰まり、地主・小作関係へと展開したとされる。しかし畿内地域でも肥料の地域消費市場と小売り商人の実態は明確ではなかった。 本研究では、ブルジョワ的経営の代表例とされる武庫郡上瓦林村岡本家の肥料購入状況と肥料商人との関係を検討して、同家が文政期の肥料高騰に比較的低価格の貝身などを使用して、有利な経営を展開したこと、岡本家に即しては反当たり収益が良好な段階で地主・小作関係に移行しており、その悪化が原因とは考えにくいことを指摘した。また肥料商人との関係の変遷、取引実態を明らかにした。とくに18世紀末に菜種作付けを拡大・強化した背景には、肥料代の圧力があったことが明らになった。 また尼崎の有力肥料商であった梶屋久左衛門家め天保期以後の経営帳簿を分析した。帳簿が大部なので、仕入れ分の分析にとどまったが、幕末維新期の肥料高騰の状况が明らかになった。幕末期には肥料価格の高騰が起き、梶屋の仕入れは停滞した。肥料は大坂・兵庫の仲買商に支払うのは両建てであったので、万延金銀め鋳造で金銀比価が銀安に傾くと一層不利に作用したのであった。梶屋の研究成果については、本研究報告書で発表する予定である。
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