「結核」は、以下の2項目について調査、研究をした。第一は患者の療養生活の様子についてまとめた。具体的には雑誌『療養生活』、『白十字』を中心に調査し、患者の生活の場を「在宅」と「療養所」に分けて実態や特徴を考察した。患者は「自宅」「療養所」のどちらにおいても極めて悲惨な生活を送っていたことがわかった。「在宅」の場合、患者は地域の人々から様々な差別や嫌がらせを受けていた。また同じ家族が、ときには患者に対して差別的な扱いをすることもあった。しかし、患者が家族から排除されたり、地域から強制的に隔離されたりすることはなく、一定の距離を保ちながら患者は地域の人々と共生をしていた。また、「療養所」は建設する際には地域から頻繁に反対運動を受けたが、完成後は地域と一定の距離はあるものの特別な差別や嫌がらせはなかった。むしろ地域の発展に貢献する療養所もみられた。第二は、患者運動について、おもに日本患者同盟を中心にまとめた。具体的には1945年から1950年頃までの動きを機関誌「健康会議」、「日間情報」、「療養新聞」等からまとめた。その結果、患者運動は、患者の日常生活における諸要求に根ざした地道な運動であった。これが当時の患者の劣悪な環境と重なって各地の病院や療養所における患者の組織化へと発展した要因である。この動きが、いわゆる朝日訴訟へと発展する。しかし、一方で患者運動は組織の拡大とともに政治的色彩をおびるようになり、組織の中に運動方針に批判的な声も聞かれるようになっていった。「ハンセン病」については、これまでの調査の補足とともに、患者を隔離に追いやった世論の動向について調査し、特に賀川豊彦をはじめとするキリスト教関係者が無癩県運動に主体的にかかわった事実を明らかにした。
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