研究実績は以下の2点である。 (1)江戸を市場とする産業の発展が地域社会の変容をもたらしたことを明らかにした。 尾張国下半田村は18世紀後半以降、江戸を市場とした酒造業が発展した村である。酒造りは、酒造りに直接携わるだけでなく、原材料の確保、酒米の加工、桶・樽の供給、製品の輸送など、多くの労働力が必要である。このような産業を安定的に維持するためには地域社会が酒造りを支える仕組みが不可欠であり、酒造業(醸造業)の発展によってもたらされた地域とはどのようなものかを明らかにした。下半田村の村政を担う頭百姓のほとんどは醸造業に関連しており、従来考えられてきた田畑の所持のみで村政を担うわけではない。醸造業を行う地域としての特質があるのではないかと考え、地域社会の空間的把握、産業に対する意識を踏まえ論じた。 この成果については「尾張国知多郡下半田村の頭百姓制にみる村社会の一端」に記した。 (2)下半田村の酒造業の江戸を市場とする過程について明らかにした。(1)の前提として18世紀の下半田村の醸造業は三河国刈谷町を市場に酒造業を展開し、18世紀後半に江戸に大々的に進出するようになる。その背景には尾張国鳴海村の江戸酒店持酒造家の千代倉(下郷家)であり、酒造業をはじめるための資金を貸し付け、返済は江戸で酒を売却した代金をあてるという方法を取った。千代倉にとっては江戸で製品である酒を手に入れることができ、また、貸金の返済金も江戸で得られることができる。この成果については「18世紀における尾張国下半田村の酒造業と江戸市場」『知多半島の歴史と現在』15号(2008年11月刊行予定)に掲載する
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