研究実績は以下の2点である。 (1)三河国川島村の太田佐兵衛の本店(三河)と江戸(支店)間の為替取組を論じた。太田佐兵衛は材木商・木綿商として、江戸の商品を送り、その代金回収先として、太田徳九郎を江戸に配置した。江戸での代金と三河諸藩・旗本の江戸送金とを相殺する為替を行った。三河21領主の江戸送金に携わり、三河での広範囲な公金受取、先納金など領主の都合に合わせなければならない側面が多い。ただし、年間約1万両に及ぶ為替送金の効率性は領主のみにならず、商人にとっても大きなメリットがあった。為替システムの実態を明らかにすることにより、産業と金融の関係を考える一助となった。この成果については、「碧海郡川島村太田佐兵衛の為替取組の実態」に記した。 (2)知多半島を中心とした産業を伊勢・三河との関係のなかで構造的に論じた。 近世の村における産業の展開は、貨幣経済の浸透にともない、階層分化が進み、豪農が地域社会のリーダー的存在となる側面、また、農間余業のなかでしだいに村の産業が展開する側面が指摘できよう。本研究では階層分化といった矛盾を抱えながらも、地域全体で複層的に産業を支える構造を明らかにした。醸造業・木綿業といった知多半島の産業は、尾張藩の保護を受けると同時に、村および村周辺の産業を支える力によって成り立っておりさらに地域市場としての三河・伊勢の役割は重要である。この成果については、2009年度歴史学研究会近世史部会大会において報告する予定である。
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