1.前年度まで勤務機関における共同研究の一環として進めてきた法住寺殿(後白河院の御所を中核とした都市空間)・六波羅(平家の本拠、鎌倉幕府の首都における拠点)や京中の篝屋(鎌倉幕府が京都市中警固のために辻々に設置)に関する研究成果を総括。 2.先行研究・関係史料を収録した刊本等を収集し、『民経記』などの古記録から閑院内裏関係の記事を博捜する作業を進めた。 3.大番役成立以前から内裏警固を担当する武力であった滝口について、高倉〜後鳥羽天皇代における史料所見を集約した。 4.閑院内裏が王家正邸の位置を占めた12世紀後半(高倉天皇代)から13世紀半ば(後嵯峨天皇代)までの間の「都市」京都の空間構造を政治的視角から検討し、そこに当該期の公武関係のあり方が直裁に反映されていることを明らかにした。 5.閑院内裏の造営ならびに大番役を勤めたことについて多くの史料所見の得られる千葉氏等、地方の有力武士に関係する史跡調査を進め、文献研究を行うための前提条件を整えた。 6.当該時期における内裏建築の様相をうかがうために、建築史関係の研究会に参加し、また厳島神社・宇治上神社の見学を行った。
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