本研究は、明治期の衛生官僚、後藤新平をとりあげ、その衛生思想の西洋からの影響を検討するものである。後藤新平は、明治期には衛生官僚として、『国家衛生原理』や『衛生制度論』を著したことで知られる。彼は、ドイツの公衆衛生に関する文献を通じてイギリスのそれ、特にジョン・シモンの衛生思想に影響うけたと考えられる。彼は、医学だけでなく、イギリスの衛生行政に、就中1871年に設立されたthe Local Government Boardに関心を寄せていた。そこでこの研究では、イギリス、ドイツそれぞれを訪れ文献を調査していった。イギリスでは、ナショナル・アーカイブズにおいて、the Local Government Boardの設立にあたったジョン・シモンおよびジョン・ランバートの手になる公文書の閲覧と複写をおこない検討を加えていった。また、ロンドン大学図書館のSpecial Collectionsに収められているエドゥイン・チャドウィックの史料にも検討を加え、総じて、イギリス衛生行政機構における中央-地方関係を検討していった。また、ドイツでは、ベルリン国家図書館において、後藤がその著作の翻訳もおこなっているルイス・パッペンハイムの関係文書の検討をおこなった。
|