本研究「内モンゴルに対する初期の蒙古例と清朝法制史」は、4年計画で崇徳3(1638)年のモンゴル文法規(軍律、北京・国家図書館所蔵)、康煕6(1667)年のモンゴル文法典(北京・中国第一歴中档案館所蔵)、康煕35(1696)年のモンゴル文法典(ウランバートル・モンゴル国立図書館所蔵)の計3点の蒙古例法典を比較研究し、清朝前半期における蒙古例の起源を問う、という目的を持っている。 最終年度たる平成21年度は、内モンゴルから中国東北部へ編入された地域の漢文地方誌を補充・参照できたが、『清内国史院档』購入は資金不足で実施できず、次期の科研に回すこととなった。次に、崇徳3年軍律を漢文版軍律(台湾・中央研究院所蔵)と比較対照する作業は順調に進み、両者の対応関係はほぼ確実に解明できた。続いてこの軍律が康煕6年の法典や康煕35年の法典に含まれているのかどうかという問題であるが、やはり予想通り、康熈6年の法典にはこの崇徳3年軍律はまだ含まれておらず、康熙35年の法典に至って、初めて蒙古例法典の中にこの条文が入ったということを確定できた。さらに康煕35年の法典や後の乾隆年間の法典中の条文がかなりの改変を受けていることを細かく検討し、八旗の法から蒙古例への編入という、蒙古例形成課程の一類型を詳して抽出することができた。これら一連の作業は平成21年度中に完了して何とか結論を出すことができたため、3月に学術雑誌に投稿した。 また康熙6年法典の訳注は予定通り進めることができたが、崇徳3年軍律がそれ以前のどの法規にまで遡れるのかということを『満文老档』、『満文原档』、『清内国史院档』によって検討することは、時間的に実施できなかった。したがって蒙古例の起源を探る総合的研究は、康煕35年頃の法典の訳註とともに、引さ続いて次期科研の研究課題とし、上記軍律の問題とともにより深く究明していくことにしたい。
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