本年度は、研究課題「第二次日韓協約反対運動と皇帝高宗の対応」に関し、(1)この条約の締結時における韓国政府外部大臣の印章の所在はどうなっていたのか、(2)第二次目韓協約が締結された当時の韓国のメディアはこの条約締結をどのように伝えたか、の2点を検討した。 (1)は、この条約の無効を主張する、日本による条約強制説(いわゆる勒約説)の有力な根拠の一つにあげられてきた。その主張は、条約締結に際して、捺印された韓国政府の外部大臣の印章は、交渉に先立って事前に日本によって強奪され、条約の調印まで日本の管理下に置かれていたとするものであった。しかし検討した結果、韓国政府の外部大臣の印章は条約調印の直前まで韓国政府外部(外務省)において管理されそいて、調印に際して韓国政府外部大臣の指示により条約調印の会場まで外部職員によって運ばれたことが判明し、これまでの勒約説が完全に否定された。 この研究成果については、平成19年度九州史学会大会(2007.12.9、九州大学)において「第二次日韓協約の調印における大韓帝国外部大臣印の所在について」と題して報告した。 (2)は、第二次日韓協約反対運動の展開において新聞が大きな役割を果たしたことに注目し、その新聞報道において第二次日韓協約を巡る政治過程がどのように報道されたかを検討した。その結果、官民一致による条約反対や日本による条約強制の強調など、新聞報道が事実とは異なる形で肥大化していったことが判明するとともに、こうした新聞報道がその後の韓国の反日ナショナリズムに大きな影響を与えたことが明らかになった。 この研究成果については、平19年度広島史研究会大会(2007.10.28、広島大学)において、「第二次日韓協約の締結を大韓帝国のメディアはどう伝えたか?」と題して報告した。
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