今年度の研究において特に重点が置かれたのは、第一に、道路整備の問題である。舗装道路の整備は、ドイツでは16世紀以降徐々に行われることになるが、広い地域で舗装道路が誕生するのは17世紀後半以降のことだった。舗装道路の敷設は、敷設後の維持管理も含め、領邦君主にとって大きな財政負担となる事業であり、これに積極的に着手するか否かは、この当時の経済情勢および政治・財政状勢の判断にかかっていた。この時点で敷設された質の高い舗装道路が、18世紀以降の主要幹線道路になり、19世紀後半以降それに沿う形で鉄道が敷設された。17世紀後半以降の領邦君主の判断が、結果的に、この後の当該領邦/地域の経済発展を左右することになった。この舗装道路には、行き先や現地名を記した道路標識と距離を表示したマイル標示柱が設置された。第二は、移動する人々の権利および義務の問題である。多くの領邦に分かれていた神聖ローマ帝国内にあって、その領邦の境を人々は自由に移動することができたのかという問題である。移動する職人たちは「職人手帳」を持って移動し、外交に携わった人々は君主が発行する通行証を持って移動した。しかしそれ以外の多くの人々がどのような書類等を必要としたのかについては、今年度だけの調査では十分に把握できておらず、今後の課題である。第三は、神聖ローマ帝国の国制レベルでの政治的コミュニケーションの実態の把握である。この点については、17世紀後半以降、帝国議会が常設化していたレーゲンスブルクに焦点を合わせ、帝国議会における審議内容の印刷とその配布状況および帝国議会の出席者である領邦君主の代理人と君主との間の指示書と報告書の印刷と配布状況の調査を行った。この調査もまだ不完全であるが、今年度の検討によれば、レーゲンスブルクがこの当時の帝国に限らずヨーロッパ政治の情報の中心点の一つだったと考えることができる。
|