本研究の目的は、第1に、第二次世界大戦開始後にソ連の支配下に入った東ガリツィアでのウクライナ人・ユダヤ人関係の緊張化を当時の民衆の感情のレベルにまで立ち入って明らかにすること、第2に、独ソ戦開始直後の東ガリツィアでのウクライナ人によるポグロム発生のメカニズムを可能なかぎり解明することにおかれている。このうち第2の目的に関連して、2006年8月24日から2006年9月3日までウクライナのリヴィウに滞在し、ウクライナ国立中央歴史文書館、ウクライナ国立リヴィウ州文書館を訪問した。ウクライナ国立リヴィウ州共産党文書館は、現在、リヴィウ州文書館に統合されている。 訪問の目的は、6月22日の独ソ戦開始後のウクライナ民族主義者組織の動きを示す史料と、6月30日にリヴィウ入りした後のナチス・ドイツ側の動きを示す史料の探索であったが、リヴィウで発生した文書館史料の盗難・紛失事件の調査のため、すべての文書館が長期間にわたり閉鎖されるという不運に見舞われた。しかし数年前からコンタクトをとっているウクライナ国立中央歴史文書館の研究員の尽力により、1941年のウクライナ民族主義者組織に関する文書を集めた史料集と同時期のギリシア・カトリック教会府主教シェプティツキイの文書を集めた史料集、および上記のポグロムに関する記事を掲載した1942年発行の新聞Lemberger Zeitungのコピーを入手することに成功した。いずれもリヴィウ現地でなければ入手できない貴重な史料である。 帰国後、これらの史料の解読を進め、本研究期間終了時までにその成果を論文にまとめる予定である。
|