研究概要 |
13世紀前半ドイツの後期シュタウフェン朝時代から大空位時代を経て国王ルドルフ・フォン・ハプスブルクに至る13世紀の国王,諸侯,貴族の紛争と紛争解決を考察対象とした。一般に国王の巡行の範囲や頻度が低下し,国王宮廷の政治的中心機能が低下するとされるこの時期における,国王宮廷の裁判機能,あるいは出席諸侯による協議と仲裁の機能を考察し,国王宮廷集会の開催地の偏りと,大空位時代以後の,幾つかの地域における国王権力のプレゼンスの低下を確認した。 次にそのような政治的統合の機能を変質させた国王宮廷に対して,国王と宮廷の影響力が低下した地域における諸侯の紛争(諸侯間,諸侯と在地貴族など)の解決を考察対象した.本研究の主たる対象地域は,史料状況が良好な北西ドイツの下ラインとヴェストファーレンである。この年度はヴェストファーレン地方の文書集を用いて,その中から紛争解決にかかわる証書史料を抜き出し,要点を整理したデータベースを作成した.13世紀は領邦形成の本格化とともに,領邦間の紛争が顕著に増加したが,文書集には多数の紛争仲裁・和解に関わる文書が見出された(主として和解協定)。このような文書の精読により,下ライン地域,ヴェストファーレン地域に各々,紛争とその解決,同盟を通じて,領邦間ネットワークと言ってよい広域的な政治秩序が存在したことが仮説的に導き出された。また紛争解決・和解を規定する同時代人の基本的な思考,共通認識,そして紛争の再発やエスカレートを避ける手段,工夫なども明らかにされた。 本年度は同時に,オーストリアのティロル伯領における村落共同体間の紛争・紛争解決に,領邦政府がどのように関わったのかをも考察し,紛争研究の枠を国王と貴族のレベルからさらに下方に広げる試みをも行った。
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