本研究は、1917年のロシア革命から1945年の第二次世界大戦終結を経て1950年代にいたる時期の国際都市ハルビンにおけるロシア人の諸活動を分析することを通じて、亡命ロシア文化とソ連体制との相互関係を、同時代の文献資料に基づいて実証的に明らかにすることを目的とした。 具体的には、ハルビン在住ロシア人の社会的諸活動および教育活動の実態を解明するために、研究補助金を用いて、近年始めて利用が可能になった亡命系ロシア語新聞である『満洲通報』、『生活ニュース』や、ハルビン在住東洋学研究者の研究機関誌『アジア通報』などをマイクロフィルムの形で購入し、ハルビン在住ロシア知識人に関する情報を収集し分析した。また、研究費補助金を用いてスタンフォード大学フーヴァー研究所およびハバロフスク地方国家文書館に出張し、ハルビン在住ロシア人に関する末公刊文書の調査と資料蒐集をおこない、ロシア人社会の具体的活動についての情報を検討した。 上記の作業を通じて、ハルビン在住ロシア人の教育活動の具体的様相を一定程度明らかにした。とりわけロシア知識人社会を維持していく上で不可欠であった高等教育のあり方を検討し、満洲国期にハルビンにおいてロシア語でロシア人を教育する唯一の高等教育機関であった「満州国北浦学院」の創設から日本の敗戦によるその終焉までを考察した論文を発表した。この作業とあわせて、帝政期から第二次世界大戦後にいたる時期のハルビンのロシア人社会がたどった歴史を概観し、東アジアに存在した在外ロシア世界が有した歴史的意義について考察する作業を遂行した。
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