本研究は、1917年のロシア革命から1950年代にいたる時期の国際都市ハルビンにおけるロシア人の諸活動を分析することを通じて、亡命ロシア文化とソ連体制との相互関係を実証的に明らかにすることを目的とした。 この研究課題の遂行を通じて、以下のような諸点を明らかにすることができた。(1)ハルビンのロシア人社会にとって中東鉄道の存在が決定的な意義をもっており、中東鉄道を通じてハルビン在住ロシア人はロシア本国(1924年以降はソ連)との結びつきを維持することができた。ハルビンのロシア人は、中東鉄道の圧倒的影響力を背景にハルビンで主要な役割を果たすことが可能となったのであり、第二次世界大戦後にソ連が鉄道経営から完全に撤退したことによって、ハルビンのロシア世界が消滅した。(2)ハルビンのロシア人社会は東アジアの地にロシア文化を移植したが、そこで開化したロシア文化は一方でロシア的伝統を維持するとともに、もう一方では異文化接触という条件のもとで独自の発展を遂げていった。同時にハルビンは、アジアにおけるヨーロッパ文化の中心地として機能し、アジア各地の新たな文化創造に多大の刺激を与える役割を果たしたと考えられる。(3)ハルビンのロシア人がハルビンを去ってソ連をはじめ世界各地へ再移住したとき、それにともなって伝統的なロシア文化とともにハルビンのロシア文化が彼らの移住地にもたらされた。また彼らハルビン出身ロシア人が、それぞれの移住先で「ハルビンツィ」(ハルビン・ロシア人)としてのアイデンティティを維持した。
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