本年度研究の主要成果は論文「ラコニア南部地域ペリオイコイ共同体の動向」『國學院大學大学院紀要』第38輯、2007、21.44にまとめられている。そこではラコニアのスパルタ領の中核をなしたスパルタの南部地域のペリオィコイ共同体のありようを可能な限り検討した。まず、-tis等の語尾を持つ地域より南、都市スパルタより北に位置するペリオイコイ共同体の実態を確認し、さらにラコニア南東部とマレア半島のペリオィコイ共同体を個別に検討した。最後にラコニア南西地域:タイナロン地域を検討した。結果、前古典期.古典期において少なくとも本稿の対象ペリオイコイ共同体への支配は安定したシステムの下にあったと思われる。前5世紀半ば以降、アテナイによる攻撃がラコニア沿岸部の防衛システムを強化することにつながったと思われる。セッラシアについての知見は、ラコニアにおいても人口的、農業経済的、地政学的など様々な理由で集落の再編が行われていたことを示唆する。南部地域についてはレウクトラの戦いとその後のテーベと同盟軍の進入.攻撃はもちろん深刻な影響をもたらしたであろう。しかし、具体的措置は皆目分からないが、メッセニア喪失後にスパルタが政治・経済・軍事システムを再編して以降、本稿の対象ペリオイコイ地域は比較的安定した関係をスパルタとの間に維持していたと考えられる。また、2006年9月のギリシア出張では、国内では閲読不可能な論文等を閲読し、論文の仕上げを行った。出張の主要目的はペリオイコイ集落の自然景観と、実際に遺跡の確認されているところでは、それを実見することであった。今年度は、ラコニア南部のペリオイコイ地域、具体的にはスパルタ市固有の領域外のヘロス平野、マレア半島、カラマタから南のスパルタ領とマニ半島を踏査した。また、スパルタでは博物館の展示品のほとんどすべてをデジタル画像で撮影し、分析の準備をした。
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