本年度は聖ルイ時代(1226-1270年)の裁判および行政関係の史料を検討した結果、調査・審問の典型的形態である証人尋問の発展について、以下の所見を得ることができた。 1.聖ルイ時代には、神判や法廷決闘にかわって証人尋問が用いられはじめたが、裁判官は、被疑者の噂や悪評に関する調査を手掛かりに審理を開始できるようになった(かつては被害者の訴えがなければ裁判ははじまらなかった)。また同王は、召喚した被告を法廷で拘束するという、それまでにはなかった方法により証人尋問を強要しようとした(一世紀前のルイ6世は、被告をいったん帰還させて、軍事遠征をおこなうという手順を踏んでいた)。証人・証書を裁判官が職権により精査し、「合理的に」取調べを行うという手続きの発展の背後には、こうした証拠の価値の変化、被告に対する物理的関与の転換があった。 2.聖ルイが1247年以降王国の各地に派遣した行政調査官たちは、住民からの地方役人の不正に対する訴えを聴き取り調査したが、これを契機に証人尋問の手続きは、王国統治の現状を知る手段であると同時に、行政的諸問題を解決する方法としても、13世紀後半以降不可欠のものとなった。また、国王役人に対する訴えを国王が受け付けたことにより、国王を頂点とする、裁判制度の位階化が促進されることになった。 なお、以上の研究成果の一部を含んだ総括的研究を、平成21年度科学研究補助金の研究成果公開促進費に応募した(ただし、結果は不採択だった)。
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