下地材の自然科学的調査は、前年度に引き続き中世漆器製作技法を解明することに主眼を置き、一乗谷朝倉氏遺跡、奥州藤原氏関連資料を中心に、比較として鷹島海底遺跡出土漆器4点、広東蒔絵漆箱2点、現代福州漆器2点および縄文時代後期漆製品8点を対象にした。 一乗谷朝倉氏遺跡出土漆器5点について分析した結果、前年同様に花崗岩砕屑物を含む火山灰が混和された下地と、火山ガラスは混和されず、石英が顕著に認められる下地に分類された。当該遺跡では、大陸からもたらされた多量の陶磁器等が出土しているが、漆製品については特定されるに至っていない。ここで、当時の交易地とされる関連遺跡や伝世品、及び参考例として現代の大陸で製作された漆器も併せて本年度から調査を行った。 鷹島海底遺跡出土漆器はいずれも骨粉を下地材として使用し、素地も巻胎漆器が多数を占め、木胎は小破片のみであった。広東蒔絵箱はいずれも火山ガラスは認められず、石英主体の砂が混和されていたが、1個体からは炭酸カルシウムが検出され、下地硬化剤として使用したと推察された。福州で製作された漆器の下地には、石英、カリ長石、緑廉石を主体とする花崗岩砕屑物の砂が混和され、火山ガラスは認められなかった。 縄文時代晩期に比定される櫛には、斜長石が内包された火山岩片、および火山ガラスが内包された凝灰岩片が認められ、軽石片等の火山灰を下地材に選択的にすでに用いていたことが判明した。 中尊寺地粉は、中尊寺金色堂建立時に使用された下地材とされる。中尊寺裏山の3個所から採取した試料の火山ガラスの化学組成は、漆壁断片中の火山ガラス化学組成と一致した。しかし、柳之御所出土漆器断片の下地に混和された火山ガラスの化学組成とは若干異なっていた。藤原氏関連遺跡から出土する漆器の下地材供給地は、近隣に複数存在することが判った。
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