本研究は、6世紀を中心とする古墳時代後期において、当時の中央政権である後期の畿内政権と地域首長層との関係を、当該期における主要な副葬品の一つである馬具に焦点を当て追究していこうとするものである。この課題を追究するため、本研究では(1)後期古墳に副葬される馬具保有形態の類型と横穴式石室の規模の相関関係からの検討、(2)金銅装馬具の形態的検討、という2つの方法をとった。 (1)に関しては、馬具保有形態の類型と石室規模の相関関係を、畿内(中央)地域と周縁地域において検討し、特に当時の政権の所在地である大和の様相と各地域の様相の比較に留意して考察した。その結果、a.他地域に対する大和の明確な優位性、b.周縁の多様性、c.周縁における拠点的地域の存在、などを指摘することができた。 (2)については、金銅装馬具のうち鏡板と杏葉の意匠に着目し、畿内と畿内以外のそれを比較検討した。その結果、畿内の首長層で保有された金銅装鏡板および杏葉の意匠は、いずれもその意匠におけるスタンダードな形態(「基本形」)であり、その組合せを「通有の金銅装鏡板・杏葉」のセットと認識した。また、これより階層的に下位にある畿内の群集墳被葬者層は、「基本形」から変異した「変異形」を保有、その組合せを「特異な金銅装鏡板・杏葉」のセットと認識した。一方、地域首長層においては「基本形」で構成される「通有の金銅装鏡板・杏葉」と、「変異形」を含む「特異な金銅装鏡板・杏葉」の両者が存在することが指摘できた。 以上のことから、馬具(特に金銅装馬具)の保有の在り方に、畿内の優位性および後期の畿内政権と地方首長層の関わりが如実に反映されている状況が看取された。
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