スペイン・バスク自治州では、近年バスク語話者の増加が著しい。その増加は、自治州による言語政策によるところが大きい。言語政策は、自治州という行政空間全域を対象に適用される。しかし、住民の言語属性が地域的に差があるために、言語政策に対する地域住民や地域社会の対応は多様である。したがって、行政により構築された制度的アイデンティティと地域住民の地域的アイデンティティの相互作用には、地域差が生ずる。今回の調査では、バスク語話者密度の高いビスカヤ県ゲルニカ=ベルメオ郡と、バスク語話者密度の低いアラバ県エリオシャ・アラバラ郡を対象に現地調査を実施し、住民の言語属性と帰属意識の変化の相互関係を明らかにし、それにより形成される複雑な言語空間の一端を解明することを試みた。 エリオシャ・アラバラ郡の言語空間は、従来から圧倒的多数を占めてきたスペイン語モノリンガル話者と、学校教育においてバスク語能力を習得した新バスク語話者により構成される。そしてこの空間においては、母語や使用言語などの社会言語学的次元が、言語使用領域や年齢階層により複雑に混交する。エリオシャ・アラバラ郡住民は、バイリンガル教育をとおしてバスク語と接する過程で、バスク語をシンポルとする制度的アイデンティティと接しつつ、バスクへの帰属意識を高める。しかしそれと同時に彼らは、自身の複雑な言語属性がバスク語核心地域とは異なることを実感し、バスクの周辺に自らを位置づけ、そこに帰属するという、マージナルな地域的アイデンティティの生成を経験しつつある。 行政により一義的に設定された言語空間においても、住民の対応は多様である。住民らはそれぞれの地域の文脈において一義的な制度的アイデンティティを消費し、そこから独特の地域的アイデンティティを生成しつつ、自他を再定義するといえる。
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