事前に予知されていたこととはいえ、官営移民や民営移民とは異なり、「組織的な受入機関等」を介さない自由移民の実状把握の手段には今尚暗中模索の状況にあることは否めないが、国内外研究機関・図書館等の所蔵されている文献等の渉猟結果から下した和平島(旧社寮島)・蘇澳・新港など東台湾の太平洋沿岸に位置する3つの事例研究フィールドの選定は、今般の現地踏査によって、それぞれ研究目的達成にとって相応しいところであったことがまず確認された。つまり和平島では、基隆市街地に鮮魚を提供するほか、遠洋漁業を営むカツオ船に飼料としてのイワシを提供することを生業とする琉球出身の自由移民からなる漁業集落が存続していたことが、蘇澳・新港では、ともに台湾総督府の肝入りによる築港事業の展開を契機にそれぞれの漁業集落の形成・拡充がみられるが、そのメカニズムにはかなりの差異が認められる。すなわち蘇澳では、築港前に、既に琉球出身の自由移民から成る漁業集落が新築整備された港湾に隣接して形成をみている。また、新港では、築港とともに官営の漁業移民の公募がなされ、その定着が、その後に相当数の自由移民としての漁業移民を受入れてきたとのことなどが、それぞれ明らかになってきた。 今年度の調査では、なお集落社会の構造にアプローチできるような資料の発掘・蒐集にはいたらなかったが、新港では終戦直前時の当該地在住者の世帯主名簿を入手してきたので只今、分析中である。問題となっているのは、住所欄に記入されている数字が、番地であったり、番戸であったりして、これら住人の、いわゆる集落内での空間位置の確定がなお出来ずにいる。しかし、該当公所ならびに市政府等の首長等の面談により、なお口約束ではあるが、当時の"姿"を復元可能にしてくれるいわゆる土地台帳・地籍図、更に戸籍簿の閲覧に大きな期待を寄せている。 現在、亜東境界ほかの在日台湾政府等の諸機関に、調査協力と公文書の発行を依頼すべく準備中である。
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