本年度は、石見銀山地域(江戸期の石見銀山料;現大田市、川本町、美郷町、江津市の一部)における製鉄施設や鉄生産に関係する地名の分布に関する調査、江戸期の鉄山・鈩鍛冶屋経営に関する古文書資料の収集を行った。 製鉄施設及び地名の調査に関しては、対象地域の自治体史や研究論文や古文書資料などを参考にしつつ、現地に赴いて確認を行った。砂鉄採取に関する地名は、対象地域全域に分布していたが、分布がとくに密であったのは、東部、の邑智郡の山間部、次いで川本町北部の一帯であった。現地での確認はできなかったが、古文書資料によれば、18世紀初め頃には、砂鉄採取地に近接して鈩・鍛冶屋の施設が立地していたことが明らかである。18世紀後半から19世紀にかけて、鈩・鍛冶屋の施設は江川周辺に集中するようになった。これらについても、現地でその時代の痕跡を確認するのは困難であったが、古文書資料などからおおよその立地場所やその規模を推測することができた。江川流域の鈩・鍛冶屋施設は、時代が比較的新しいこともあると思われるが、一般に、より規模が大きい傾向にあったと思われる。なお、現地調査では、対象地域の外になる旧津和野藩領日貫村(現邑南町)の調査も行った。この地区にも砂鉄採取地が多く分布していたが、地区の中心であった日貫の町には、日本海沿岸部の銀山料の町場から移住した有力商人が多く、いずれも鉄の売買を行ったことがわかった。 古文書調査では、石見銀山資料館に寄託されている宅野村(現大田市)の鉄商人藤間氏の番頭を勤めた森山家の古文書調査を主に行った。詳細な分析は来年度以降の課題であるが、同家の史料からは、幕末期〜明治初期の製鉄施設経営や副業としての海運業の実態が明らかになると期待される。
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