本年度も、昨年度につづいて、史料収集を中心に現地調査をおこなった。収集した史料は、中村家(江津市桜江町大貫)、森山家(大田市仁摩町宅野)、泉家(大田市仁摩町宅野)のものである。これらのうち、泉家は宅野浦の廻船商人であり、自身が鉄生産をおこなったわけではなかったが、石見国内の製鉄業者からの鉄集荷、日本海海運を利用した石見産鉄の他国への出荷の状況などについて情報を得ることができた。石見における産鉄と日本海海運との関係については森山家文書からもその一端を知ることができるが、そこに記されているのは幕末期から明治10年代のことであるのに対して、泉家の史料には早いものでは石見国内において産鉄が盛んになる18世紀初頭の状況をうかがうことができるものがあった。昨年度までの検討を通じて、少なくとも江戸後期の石見国の鉄生産においては、それぞれの生産過程と資本とが別の主体によって担われていた例がみられ、この点が松江藩などと異なる石見銀山料における鉄生産の大きな特徴のひとつではないかと思われたが、同家の史料からは、そうした経営が、すでに18世紀半ば頃までには展開していたことがわかった。また、商取引を通じて大坂の商人らと密接な関係を築いていたことを背景に、領内の者が京や大坂へ旅行する際や代官所の公費を大坂へ送るに際して、泉屋がしばしば為替を組んでいたことも知ることができた。鉄の生産・流通ばかりでなく、域内の経済活動や他地域との関係において、宅野浦のような日本海沿岸の町場における商人が重要な役割を果たしていたことが明らかとなった。
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