最終年度である本年度は、これまでの成果を集約するとともに、理論的・歴史的な検討を行った。人権概念は、明治期に欧米文明の基本概念として日本に移入されたわけだが、その際、"right"という概念が「権利」と翻訳されることにより、原語が持っていた「正当性」の要素が薄められる結果となった。"human rights"も当初は天賦人権と訳されたが、ここでも「権」という漢字が当てられたところに注目すべきである。「権」という漢字は、中国語・日本語ともに、なんらかの「力」すなわち"power"を含意する。自由民権運動においても、国権に対する民権というように、国家と人民との力の配分、勢力関係が主に問われ、民権の正当性の根拠付けに関する議論は弱かった。そのため、権利という語は、なんらかの利益を受け取る力という意味合いを持つようになり、欧米の権利概念からずれてくる。いわば人民の「権益」である。それが明治憲法の下では国家によって大きく制約されていたこともあり、人間が生まれながらにして一定の不可侵・不可譲の権利を持つという人権概念は日本に定着しなかった。戦後は、新憲法が基本的人権を保障することとなるが、それはあくまでも法律上のことであり、新憲法の規定する人権については、憲法学など法律の専門分野では議論されることはあっても、一般の人口に膾炙する場合には、戦前からの日本的な権利概念を引きずったものとなった。そのため、個人間の「権益」の衝突あるいは侵害が「人権問題」と捉えられがちであり、国家に対する人民の権利という意識は、現在でも非常に弱い。その結果、国家対個人ではなく、むしろ私人間の関係において、不当に「権益」を侵害され、その結果「尊厳」までも奪われた少数弱者の問題こそが、人権問題であるという日本的人権概念が形成されたというのが、本研究の知見である。
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