本研究は3段階からなる研究であり、その第1段階にあたる2006年度はハンセン病患者運動の歴史的意義について考察した。主な調査地は沖縄島北部にある国立療養所沖縄愛楽園であり、入所者7人への聞き取りを通して、ハンセン病差別との闘いの姿を幾つかのテーマ(隔離、患者の権利、家族、退所)に即して記録した。 2001年熊本地裁判決で勝訴したハンセン病違憲国賠請求事件で、原告らは「らい予防法」による隔離による被害に対する補償を請求していた。そのため「らい予防法」に基づいて設置されたハンセン病療養所は、隔離政策の違法性の象徴的存在であると捉えられた。ここから、療養所内の処遇改善を要求し続けた戦後ハンセン病患者運動は、隔離政策を受容したものであるとする批判的理解が生まれた。しかし、その後原告らは、全国ハンセン病療養所入所者協議会とともに、療養所の将来構想問題に取り組んでおり、療養所をハンセン病差別に対する砦として理解する必要性が増している。本研究は療養所でハンセン病差別と闘う入所者の姿を記録して、ハンセン病患者運動史をあらたに捉え直した。 また2006年8月にアメリカ本土唯一のハンセン病療養所カーヴィルを訪問するほか、ハワイにあった療養所についてホノルルで資料収集を行い、アメリカのハンセン病差別問題研究の近年の成果を学んだ。次年度に行うアメリカの批判的人種理論に関する研究とハンセン病差別問題研究の架橋を試みるためである。アメリカではハンセン病差別と闘う患者運動が集合的アイデンティティーの問題として論じられていることが確認された。
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