研究概要 |
本年度は,明治維新後の新政府(明治政府)が,その財政基盤を確立して近代化と軍国化を図るために殖産政策を採ったことから,維新以降,明治中期に至るまでの,生糸業における発展事情を主に分析した。 すなわち,上述した殖産政策としては,生糸業,綿工業,機械という三つの産業育成が着目された。とりわけ生糸業は,広く,農民を取り込んだ形で発展を見ることとなり,明治期のみならず,その後,昭和期の初めまで,生糸は長く日本の重要な輸出品とさえなった。というのは,維新後,間もなくして税は金納となったため,農民は現金収入を必要とし,これにより,日本全国の農村で生糸生産(桑の栽培,養蚕,糸紡ぎ)が展開されることとなったからである。 しかし,その一方で,この生糸生産を受けて製糸業者も数多く誕生することとなったが,この製糸業者は多大な産業資本の確保を必要としたため,ここに金融業の活躍が重要となった。すなわち,製糸業の経営には,工場建設に要する固定資本と,それから,原料繭をその生産期に集中して仕入れるための流動資本を必要とした。この流動資本は生糸生産にとって莫大であっただけでなく,明治期の蚕糸業における流動資金の調達には,他の産業に比して,極めて特異な発展をもたらすこととなった。それは,製糸業者に対する生糸売込問屋の融資,という形態が採られたことである。この融資は最初は無担保であったが,のちには,手形取引や繭自体の担保化が行われるようになった(ここでの担保の主な形態は集合動産の譲渡担保であったと考えられる)。
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