デモクラシーに関する20世紀の言説を振りかえる場合、忘れられてきたジョン・デューイやカール・マンハイムの再検討が重要になる。特に、英国亡命後の社会計画論者としてのマンハイムは、現代シティズンシップ論を考える際に重要な論点をすでに萌芽的に示していた。ドイツ期と英国期のマンハイムを貫く発想法の一つに、「最大限の視野の拡大」があるが、これを知識社会学の方法論としてのみ理解することは片手落ちである。イデオロギー対立の深刻化した20世紀前半の状況と、今日的な「アイデンティティの政治」における排他的絶対性の諸問題との異同は、それ自体検討すべき課題であり、マンハイムの「最大限の視野の拡大」の構想が最終的に教育の問題に行き着いたことを、軽視はできないからである。 あまり言及されないことだが、20世紀末のラディカル・デモクラシーの論点の一つに、リベラリズムがファシズムのような大衆社会現象を適切に扱えなかったという問題があった。異文化や異文明の間で対話が可能な人間をいかに育成するかという現代シティズンシップ教育論は、実は20世紀前半から問われていながらこれまで満足に検討されてこなかったデモクラシー論の一水脈と考えてよい。事実、「差異の政治」の論客アイリス・ヤングは、マンハイムの「最大限の視野の拡大」に極めて酷似した議論を90年代中葉から展開したし、最晩年には市民教育の問題を扱っていた。この事実は、「大衆(社会)から市民(社会)へ」を考えるラディカル・デモクラシーが、「異質な他者の意見にまずは耳を傾ける」という「リーズナブルな市民」をいかに育成するかという、シティズンシップ教育論や「シヴィリティ」の問題と不可分であることを示すものと考えられる。
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