平成19年度は、前年度に行ったヨーロッパ統合に関する経済理論の整理を受けて、ヨーロッパ統合の実態に関する実証分析を実施した。それによって、1955年から1960年代までの共同体の鉄鋼共同市場における鋼材取引の実態と戦後復興・発展との関係を、フランス鉄鋼業を中心に解明した。 この時期のクランスにおいては、政府主導による経済の近代化・発展をめざす第2次と第3次の「近代化設備計画」が実施されており、鉄鋼業を含む経済全体が設備投資と生産拡大をめざしていた。ただしそこでは、政府・財務省によって物価上昇が厳格に抑制され、インフレ対策が採られていた。その影響を受けて、多くの国内製造業に鋼材を供給する鉄鋼業も、価格を容易に引き上げることはできなかった。しかし制度的には、鉄鋼業はヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が管轄する鉄鋼共同市場に帰属しており、フランス政府の政策権限が及ぶ範囲外にあった。したがって、本来は自由競争下にあり、需給バランスによって価格が決定されるべき鋼材が、事実上フランス政府の管理下にあるという矛盾が生じていた。 その結果、戦後成長期の物価上昇局面にもかかわらず、鋼材価格は相対的に低く抑えられ、フランス鉄鋼業界は十分な収益を得られず、設備投資資金の調達に苦しんでいた。この資金難が近代化設備計画にも悪影響を及ぼし、鉄鋼業の生産力拡大を遅らせていたのである。すなわち、実質的には同国政府の経済政策によってコントロールされていたフランス鉄鋼業は、鉄鋼価格上昇が政策的に抑制されたために、共同市場においては西ドイツやベルギーの鉄鋼業に対して不利な競争を強いられることとなった。
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