本年度は昨年に引き続き、環太平洋経済圏に属する国家・社会の貿易と投資に関する経済統計の収集とコンピュータ入力によって、19世紀から20世紀半ばまでの大データベースを構築した。この作業はいまだ途中の段階にあり、今後ともさらに多くの経済統計の収集整理をつづけ、データベースの充実を図っていく予定である。今年度におけるこの大データベース分析によって、つぎのような新知見を得ることができた。第一に、従来アジア経済圏として一括してとらえがちなアジア市場のありかたが、非常に多様であることであった。すくなくとも、インド、中国、東南アジア、日本の経済発展について共通する趨勢はみいだされない。第二に、アジア市場に於いて、日本経済は一貫して膨張しており、中国とインドは停滞ないし若干の成長と衰退という具合であった。重要なことは、日本の対アジア市場進出が、むしろ中国とインドのアジア市場からの退出を引き起こしている事実があったことである。第三に、日本は一方では一貫して非常に閉鎖的な帝国経済圏をつくって資本主義の発展を図りながら、他方では1920年代末からひろく世界市場に対して軽工業品を輸出するようになっていた。日本を中心とし、朝鮮、台湾、満州を含んだ領域にひろがった資本主義は、東アジア資本主義と規定するべきものである。第四に、この東アジア資本主義は非常に早くから米国と結びついていたが、第二次大戦以前には米国に工業製品を輸出することはできなかった。戦後日本帝国は解体し東アジア資本主義は国民経済に分解されたが、米国が巨大な工業製品市場として登場すると、日本、韓国、台湾は強い経済産業連関をもって対米輸出を急増させることによって、東アジア経済の発展をもたらした。
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