2年間の研究成果は、学説史の考察と史料調査に基づく実証研究からなる。 (1)学説史:ドイツ学界で環境史研究は、「子供時代を終えて」成熟期を迎えている。1980年代の方法的対立は、すでに過去のものとなったが、一つの方法に収斂するというよりは、むしろ時代・分野を問わず問題関心の拡散をもたらした。逆にそのため「環境次元を適切に組み入れた工業化像の再構成」は未解決のまま残されている。 (2)実証研究:ドイツで最初にアニリン染料生産を手がけ、その後半世紀間環境闘争に明け暮れたイエガー会社を取り上げ、ハーンの設定した課題解決に向けての一歩とした。 (1)史料調査から、イエガー会社をめぐる環境闘争は夏期の段階を経て進むこと、したがって化学工業の急成長に伴い発生する環境問題を考察する上で、いわば縮図の位置にあることを確認した。1)第一期(1864-75):厳格な認可条件が設定されたが、イエガーはそれを無視して営業を続け、住民とバルメン市当局を挙げた頑強な抵に遭遇して市外移転を余儀なくされた。2)第二期(1875-77年):「19世紀第四四半期デュッセルドルフ行政区の最も典型的な闘争」(下の(2)参照)。3)第三期(1880-1908年):水質汚染を軸にした闘争が発生し、「河川は自然の排水溝」とする考えが成立するまでの足跡が鮮明となる。 (2)A.Andersenの方法を手がかりにして、周辺住民との闘争と「自然・生産サイクルの接点である工場内環境を察した。1」住民抵抗の基礎にあった「隣人権」は、認可制度のもと公示・異議申し立て・意見聴取会として十分機能していた。2)1855年化学工業独自の認可制度が導入され、科学技術の最先端を行く化学工業に関して被害との因果関係の論証が困難化してきて、訴訟の勝利は難しく(住民の抵抗を抑える先兵と)なった。
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