平成19年度の研究実績としては以下の2つを主要なものとしてあげることができる。 第一に、清水幾太郎の幼年・少年時代である明治末から大正時代にかけて「人生の問題」(いかに生きるか)と「社会問題」(貧困)が台頭してきたことに着目し、こうした文化的・社会的変動と清水のライフコースならびにライフストーリー(自伝)がどのようにリンクしているかを分析した。清水は没落した旗本の末裔として、親類縁者の期待を一身に集めながら、東京のスラム(本所)の片隅から東京帝国大学へと続く立身出世の階段を歩むことで「人生問題」を解決しようとしたが、それと歩調を合わせるように台頭してきた「社会問題」のアナーキズム的解法とマルクス主義的解法の影響を受けて、体制内での立身出世を志向しながら体制に対して批判的でスタンスをとることの困難さは必然的に大きくなっていった(昭和戦前期以降の日本社会の文化的・社会的変動と清水のライフコースならびにライフストーリーの関係の分析は今後の課題である。) 第二に、清水の学習院での教え子たちの集まりである「七九会」(清水の誕生日の7月9日に由来する)の世話役である寺崎上十氏ならびに松本晃氏とコンタクトをもち、『清水幾太郎先生生誕百年記念文集』(平成19年7月刊)に拙文を寄稿させていただくとともに、学習院教授時代の清水幾太郎について貴重なお話しを伺うことができた。一口に清水の教え子といっても、清水が学習院で教鞭を執った期間は1949年4月から1969年3月までと長期にわたり、その間に清水自身の思想的変遷や大学生気質の変化もあって、学生から見た清水幾太郎像は一様ではない。(清水のさまざまな教え子へのインタビューは今後の課題である。)
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