高名な社会学者であり、戦後日本のオピニオン・リーダーの一人であった清水幾太郎は、論文「庶民」(1950年)の中で、「私自身が庶民なのである」と告白した。彼はなぜそんな告白を行ったのか。第一に、彼は下層の出身で、そのことにプライドと羞恥心の両方を感じていた。第二に、庶民は人間性の直接的な体現者であるが、清水の社会学理論において人間性は重要な位置を占めている。第三に、彼は国民的な平和運動に積極的にかかわっていた。要するに、清水は庶民への共感という点において、彼自身を他の進歩的文化人から区別しようとしたのである。 しかし、1950年代と60年代を通して、庶民の概念は有効性を失っていった。庶民はマスメディアの発達(とくにTV)と経済成長の中で新しい群集に変貌した。一方、清水は平和運動を離れ、アカデミックな研究に専念するようになった。清水にとって新しい群集はもはや共感や連帯の対象ではなく、貴族との対比において、厳しく批判すべき対象となった。晩年、清水は大衆社会を乗り越えるために、愛国と社交の必要性を説くに至った。
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