研究概要 |
(1)討議民主主義論の台頭は,投票民主主義の限界が顕著になってきたことにもよる。コンドルセは,独立した諸個人が共益の観点から真である選択肢を探索するという視点から投票をとらえたが,彼のモデルでは投票のパラドックスを説明できない。投票を個人の選好の集計としてとらえたアローの社会的選択理論は,投票によって社会的厚生を最大化することは難しいという一般可能性定理を導いた。そこで,エルスターの「市場とフォーラム」(1986)のように,討議を通じて共益を追求するという討議民主主義論が出現した。しかし,ヴァン・アークンらによる編著『討議と決定』(2003)のように,討議理論を社会的選択理論に直接に導入する試みは成功しているとはいえない。(2)討議は,言語によるコミュニケーションを通じて,相互主観を形成する過程である。この過程をとらえるツールに乏しい社会的選択理論に替えて,討議民主主義論は最近の言語理論を摂取しようとする。ハーバーマスは『社会科学の論理によせて』で,他者とのコミュニケーションを通じての相互主観の形成の基礎として,後期ウィトゲンシュタインをふまえて,「馴れ親しんだ言語ゲーム」(eingelebter Sprachspiele)にもとつく生活世界を想定した。こうした彼の議論は,異なる言語ゲーム間の抗争を強調したり,システムから分離された生活世界における理想的発話状況にも権力の契機が存在することを指摘するポスト・モダン論者との論争を引き起こすことになった。(3)以上のような討議民主主義をめぐる論争が,より実践的なかたちであらわれるのは,共同体の共有価値を前提とした討議を強調するコミュニタリアンと,集団間の差異の承認を目標にするアイデンティティ/差異の政治論者との対立であろう。2007年度は,この脈絡からエチオーニに代表されるコミュニタリアンの民主主義観を検討した。
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