甘えには、行動や依頼がその人の置かれた状況からして不適切であること、および、その不適切な行動や依頼を相手が許容してくれる、という期待が存在する。したがって、この期待感が存在しないと甘え行動を起こさないことが予想される。そこで、甘えとみなされるようなエピソードを描写した寸劇を大学生の被験者に提示し、それが甘えとみなされることを確認した。さらに、Rosenbergの自尊心尺度によって測定された自尊心と甘えに関する態度との関係を調べた。その結果、自尊心の高い者ほど、人に甘えない方がよいとは考えないこと、さらに、人に甘えるべきでないとも考えないことがわかった。これは自尊心の高い者ほど人に甘えることができるということをいみしている。さらに、自尊心の高い者ほど、人の甘えを受け入れることができると同時に人の甘えを断ることもできる、と回答していた。このことは、自尊心の高い者ほど甘えを一方的に否定するわけではなく、うまく甘えたり、甘えられたりすることを示している(実験1)。また、「ひんぱんに甘える人」、「ときどき甘える人」、および「まったく甘えない人」について、印象を評定してもらったところ、甘えない人ほど能力が高く、自立しているとみなされるが、会社性に関しては甘えない人がもっとも低い、という結果が得られた。これはまったく甘えない人は、能力が高く自立しているとみなされるが、他者との関係はよくないとみなされることを意味する。実際、友人や仕事の仲間としては、ときどき甘える者がもっとも好まれるという結果が得られた(実験2)。これらの結果は、少なくともある程度は人に甘えたり、人の甘えを許容することが日本文化の中では適応的であることを意味している。さらに、日米間の比較も行い、基本的には甘え現象が文化を超えた存在であることを示す結果が得られた(実験3)。
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