教育課程体系化を命じた1931年党決定以後の「労働」科目ほかの課程編成と、知識の評価制度の導入過程を分析した結果、ソビエト体制は、31年9月の決定で体系化とポリテフニズム化とを平行して打ち出す(定説の言う)よりももっと早くにこの2つの方向を決断して資源を投入したこと、評価制度では、1932年8月の党決定で指示して後、中等・初等教育では33年春から生徒別記帳、試験を導入したこと、この中で「労働」では編成と教員支援の遅れにより34年夏、導入決意の表明に止まり、「やっかいもの」視されたことを解明した。
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