学校教育で民俗芸能を取り上げようとする文部省による政策的な誘導は、戦後でいうと、1960年代にその萌芽が見られ、1980年代から徐々に始まってきた。 政策要因としては主に二つがあげられる。一つは、1960年代以降の少年非行の高まり、1980年代以降の治安悪化への政策当局者たちの懸念を背景として、祭りや芸能の継承に一種の治安維持的な機能を期待するというものである。この流れは、生涯学習社会への転換が模索された1980年代の臨教審答申によりはっきりと示され、近年の教育基本法改正に至るまで、芸能自体のもつ教育力への注目として、社会統制力のいわば下からの強化が重要な背景要因となっている。もう一つは、政治・経済・文化のグローバリゼーションの波を受けて、ナショナル・アイデンティティ自体が再構築を迫られている点であろう。日本の伝統文化の一環として、地域の民俗芸能に注目し、それを学校で教えさせようとする流れであり、これも1980年代中曽根政権以来、徐々に強まっている。 後者の理由のほうが世間的に通りやすいこともあり、政策提言においてより強調されているのは後者であり、そこに治安維持的な機能を同時に滑り込ませるといったかたちでの政策展開が多いことが分かった。 今回の調査で興味深かったのは、学校や地域において取り組んでいる教師や社会教育関係者たちは、必ずしもこのような政策動向を意識しているわけではないという点にある。意識している場合、治安維持的な機能に政策側が注目している点には、むしろ批判的な意見を持っ人たちが多く含まれていた。彼らが芸能を教育に取り入れようとするのは、踊りや演奏自体の魅力が大きいこととともに、踊る喜び、演奏する喜びを通じて、新たなコミュニティを在地において形成し得る魅力を感じているからであった。さらに、学校が地域外の芸能をしばしば取り上げることにより、将来的に見れば在地文化の一大変動の契機をなしている可能性を示唆することになった。
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